2009年11月14日

「国際協力支援」で起業する 1    宗田 勝也(ラジオ番組「難民ナウ!」主催)

宗田1.JPG  難民保護の対象となる人々は1600万人の難民、2600万人の国内避難民(2008年)である。難民の長期化問題(5年以上難民生活をしている人)や、難民受入負担の不均衡問題(途上国が80%を受け入れ難民・住民間で摩擦)など、難民問題の現状は非常に過酷である。一方で、日本がここ30年間で難民条約に沿って受け入れた人数はわずか約500人である。難民認定申請が厳格である、難民認定申請中に生活支援すらない、ミャンマーの難民申請者が強制送還された、受け入れた難民が日本社会に溶け込めない等、難民問題は日本国内でも深刻である。宗田氏によると、国際問題に興味がある大学生ですら日本の難民受け入れに否定的であり、日本のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)支援金額が世界第2位だが他国に面倒を見させるというスタンスと合わせて難民への認識が浮き彫りとなった。宗田氏は難民問題は「私達社会の問題」であり「一人一人の意識が問題」であると説く。


 ラジオ番組「難民ナウ!」は2004年に開始(京都三条ラジオカフェFM79.7MHz)した。「難民問題を天気予報のように」身近にすることをコンセプトに、難民というキーワードで様々なジャンルのゲストを招いたインタビューをメインにした6分間の番組である。宗田氏は偶然参加したある平和学講座で難民問題のことを知り「溺愛する姪や甥がもし難民になったら」と想定され問題意識を持たれた。活動はやがてUNHCRでも知られるところとなり、宗田氏は現在J-FUN広報担当も兼任される。地域と難民をつなぐ「京都三条通ジャック」というイベントの開催、映画上映会など活動を広げられている。「難民」という曖昧な言葉を紐解き、「知ってほしい」と「知りたい・何かしたい」を結びつける役割をもっているメディアが、これからは大きな可能性を秘めたツールであることを受講生たちは本講座で学んだ。

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「国際協力支援」で起業する 2    門田 瑠衣子(エイズ孤児支援NGO-PLAS 代表理事)

門田1.JPG エイズ孤児とは片親または両親をHIV/AIDSで亡くした18歳未満の子供で、必ずしも本人が感染しているわけではない。昨今先進国においてHIV/AIDSは通院し投薬すれば寿命まで生きられる病気である。世界のHIV/AIDS感染者中68%、感染死亡者76%がアフリカで、平均寿命が30代という国もある。世界のエイズ孤児は1500万人(2005年)だが来年には2500万人以上が想定され、1500万人中1200万人がアフリカに集中する。エイズ孤児が増加する背景は、「エイズ孤児を産む→親の死→親戚や近所の人に引き取られる→差別→教育を受けられない→公衆衛生の知識を得られない→HIV感染のリスクが高まる→またエイズ孤児を生み出す」という悪循環にある。門田氏によるとエイズ孤児は他の孤児よりも深刻な差別や偏見にさらされており、引き取り手すらおらずに14、5歳の年長者が親代わりとなり子供だけで生活しているグループもある。


 プラスの活動は、エイズ孤児への教育支援、エイズ孤児への差別解消、HIV/AIDS予防啓発活動、母子感染のリスクを持つカップル・妊婦への支援、コミュニティ(エイズ孤児の受け皿となる)の自立支援、エイズ孤児の認知度向上で、エイズ孤児支援に特化した日本で初めてのNGOである。多数の大手企業や芸能人、有名漫画家等との協力支援関係が太く事業規模も大きい。プラスの特徴は「あげる支援ではなく地域と協働開発」する点にあり、住民参加を促し自立を一緒に模索する所にある。地域とともに建設した小学校では、現地の農業従事者を招いて農業の授業を行い収穫した作物を保護者に渡したり市場で販売することで小学校の運営資金としている。また、地域のリーダーをHIV/AIDS啓発活動の運動者へ育成し、母子感染や検査に関する知識を伝えている。現在の活動域はケニヤ・ウガンダの一部県だが、今後は広い展開を目標とされている。

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「国際協力支援」で起業する 3    大谷 賢二(カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)代表)

大谷1.JPG 単純に破壊力は戦車のほうが大きいのに戦車ではなく地雷が「悪魔の兵器」と呼ばれる。理由はその残虐性(手足・視力を奪い、生きる力を奪う)、無差別性(敵味方・大人子供関係なく1.5キロ以上の重さがあれば爆発)、残存性(一旦埋めたらどこにあるかわからない、内戦後16年経っても残存)にある。


 カンボジアは貧困著しい国である。地雷被害に会うのは、生活のため木の実を取りに森に入る少年、インフラが不十分なため炭・薪を主要燃料としていて森に入る樵、農業作業に従事する人々など、貧困問題に追い討ちをかけるように被害者が出ている。地雷被害者には、親から孤児院に置き去りにされた少年や観光地で座って物乞いをする人等、生きる力すら奪われる人も多く自殺者も多い。CMCの活動は、現地では地雷撤去・地雷被害者支援・地雷原の村への農業支援と教育支援・被害者の心のケアのためのラジオ番組制作・放送を行い、国内(国内8拠点)では各拠点が独自に、講演会・学校での授業・写真展・チャリティイベント・地雷原へのスタディーツアーなどを実施している。活動に賛同した日本国内の小・中学校のこども達がアルミ缶回収、フリーマーケット、自分達の農作業による収益等で募った募金によってカンボジア児童の制服や地雷原の村の造池等ができ、そこに日本の学校の名前を入れることで子供同士の繋がりをつくる活動も行われている。根本的には地雷を撤去することが解決につながる。これまで地道な作業で地雷原をクリーンにし、地雷被害は5分の1まで減少したが、最近は地雷撤去作業者自身が被害に会う悲劇もある。しかしCMCの取り組みは多くの賛同を得て輪を広げ、確実に目標へ向かっている。

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2009年11月21日

「農と食」で起業する 1    西辻 一真(株式会社マイファーム 代表取締役)

西辻.JPG マイファームは「自産自消ができる社会」「耕作放棄地を直す」「消費者に農業を伝える・意識を変える」という理念・ゴールが明確に存在する。また西辻氏はゴールが達成できれば「解散するつもり」と言って憚らない。NPO・個人で農園業をやっている人は多いが、マイファームは企業なのでビジネスにする必要がある。しかし、各々自立した人々・団体とネットワークをつくり、みんなで作っていくというユニークなスタンスを取っている。また、社会のワークシェアリングという観点から、農業に係わりたい異業種企業のHPリンク・コラボも積極的に行い、無償で中間支援的役割を担っている。


 顧客の特徴は、30代前半の子育て・仕事が忙しい世代で、多くが農業初心者だが子供に土を触らせたい人々である。ニーズに対応するために、都心から通える距離の農地の確保、この世代が気軽に相談できるインストラクターの育成(サービス業に対応できる若い人)などに苦慮されながら農園数を拡大している。貸し農園業は一般的に解約率が高いといわれるが、マイファームは解約率が2割に満たない。西辻氏はその理由に「コミュニケーション」を挙げる。若いインストラクター・地主さん・顧客同士がクラブ活動的に係わり、SNS等でつながりが広げるシステムを作っている。一方、農地を扱う上で農政・農地法の問題にも突き当たり、「貸し農園」という用語使用の難しさ、中央と地方との政策・立場が乖離していることなど問題点も説明された。


 受講生から解約率が低い理由について質問があがり、畑という場所でお金を払っている感覚を忘れさせる程の「コミュニケーション・楽しさ」がある点を西辻氏は挙げられ、顧客はレジャーではなく子供の教育費と考えているため、子供が塾に通い始める時期が競合時かもしれないと示唆された。また、このビジネス形態で就農人口が増えるかという問いには、正確には「農業」とはいい難い形態なので直接的な増加は難しいが、顧客の中には就農に向かう人も出てきており、現在はそこまでサポートが出来ないので、農業学校に近い存在となることを目標に挙げられた。

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「農と食」で起業する 2    鈴木 誠(株式会社ナチュラルアート CEO)

鈴木.JPG このような世の中になったのは世の中全体がバランス感覚を欠いたからだと鈴木氏は述べる。利益が出れば人は次にそれ以上を望むが、適正利潤以上を出すためには誰か・何かを「いじめる・無理強いする」ことになる。そのことで瞬間的に利益がのぞめても持続可能な状況ではない。同じことがの農業業界にも言えて、適正レベルまでの生産量拡大(シェア)は利益を出す上で必要だが、生産者は作りっぱなしにするのではなく、作る技術力と販売力のバランスをとることが価格権限を持つ流通業界に対等に発言権を持てる、または独自のマーケットを築いていくことにつながると鈴木氏は説く。


 異常気象や社会・政治・経済など、我々をとりまく環境は日々強烈なスピードで変化する。鈴木氏は「最大の目標はこの変化の中で生き残る持続可能な農業経営」と述べる。もしこれまで作物・畜産の品目を絞って生産していたらナチュラルアートは変化にのみ込まれていた。しかし、多種品目の生産で利益を補い合ったので全体で収益を上げた。確かに、農業は他の産業と比べてノウハウ・経験値を積み重ねることに時間を費やす。しかし赤字の垂れ流しでは持続可能は経営は出来ないのである。


 人口問題・異常気象など不平等な状況が世界中にある。作物の市場での取り合い、輸出規制、恣意的な相場上昇等、食料が国際政治に使われ低所得者が食料を買えない状況が生まれており、低食料自給率の怖い点はここにある。鈴木氏はこのままでは食料のインフレにつながり、解決するには国内農業の振興しかないと強調された。


 日本の農業業界が衰退している(農業従事者・生産規模の減少)のは事実で、それを認識して現実的にどう対処すべきか。鈴木氏は、既存の業界・常識に囚われない自由な発想が必要と述べる。農協の善悪論に縛られず、良いところは伸ばし悪いところを直す。異業種参入は歓迎だが、業界ごとの時間軸の違いや農村文化を理解しないで軽率に参入するため度々問題が起こっている。一方、農業業界は一人親方が多いので業界内外のネットワークをうまく築けていない。長期的視点をベースに、社会に対する影響、貢献を考え他業界と組んで技術・仕組みを取り入れ、新しい人達との枠組みで新しい産業としての農業をつくることが重要であると鈴木氏は説いた。


 受講生からは販売に関して心がけたこと、どうやって農家の人と仲間になるのか、長期思考型の時間基準、食料自給率に関して生産者になるのではなく自給自足をすることについて、異業種を取り込もうとする行政の姿勢など多くの質問が上がった。それに対し、営業は正直であること、農家の人自身が仲間になるかどうか決めることなので無理強いしないこと、ナチュラルアートは100年を長期思考として持っていること、自給率に関して全ての人がプロになる必要はないこと、行政・企業ともに長期的視点がない点などを説明いただいた。

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2009年11月28日

「社会的弱者支援」で起業する1    海津 歩(株式会社スワン 代表取締役)

1128海津さん.JPG  ヤマト運輸創業者の故小倉昌男氏は、作業所で働く障がい者の給与が5,000円/月であることを知り、売れるものを作っていないから儲かっていないんだと認識された。そこで、毎日消費されて人前に出られる楽しい仕事ということでベーカリー業に着目された。「動機が善なら不可能はない、理念は不退転」「勧善懲悪、損得より善悪・正義は勝つ」「顧客第一、需要は経営者が創る」等、現在小倉イズムを継承し黒字経営を実行されているのが海津氏である。


 スワンベーカーリーでは障がい者を戦力と考える。誰にでも得意不得意はあり、障がい者は単に出来ないことが顕在化しているだけだと海津氏は述べる。経営特徴は組織で機能するという点で、その人の長所を生かして短所は仲間が助ける全員経営である。そのために仕事を単純細分化し、一人が出来るようになることを多く作る。その小さな成功例の積み重ねが仕事の楽しさ、自己の成長、必要とされていることを感じさせるのだと述べる。そこから「当事者意識・義務感→使命感」への変化が各スタッフに芽生え、モチベーション(最大の経営資源)が高まる。お昼時の混雑時に顔を真っ赤にして一生懸命に働くスタッフのお話は非常に印象的であった。海津氏いわく、「彼らは仕事を通じて自己実現している」のである。


 また、海津氏は障がい者の能力を「青天井に見る」と述べる。スタッフには、PCのブラインドタッチをマスターして寿退社した人、チョークアートでお店の入り口を飾る人、バリスタの勉強をしてラテアートをつくる人など能力を開花させている人が多い。一方、新しく物流部門を設けて配達データの入力、重度障がい者の在宅就労など「戦力」である障がい者の仕事開発もすすめている。あくまで商品力で他社と勝負するスワンベーカリーは、ブランドコンセプトや環境・健康配慮の商品開発・サービスで差別化している。海津氏は「人間は誰もが死ぬまでに弱者体験をする」と述べる。日本の労働人口が減少している昨今、障がい者の労働問題はもはや他人事ではない。

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「社会的弱者支援」で起業する2    関根 千佳(株式会社UDIT 代表取締役/情報のユニバーサルデザイン研究所 所長)

1128関根さん.JPG 関根氏は米国に滞在中、活動的に車椅子で出歩く人々、老人ホームで企業する障がい者、大学でPC検索する全盲の人に出会い、彼らがそのように活動できる社会環境であることに刺激を受け、帰国後、社内でITによる障がい者支援ベンチャーを立ち上げた。関根氏は、日本の製品・インフラ・組織等は全てにおいて「健康な中年男性」を想定したつくりになっていることに疑問を持ち、またユニバーサルデザイン(UD)という考え方に出会ったことで、ソフト面だけでなく商品・制度など様々なものへの可能性を感じて独立された。人間は誰もが一時的な健康体に過ぎないという認識から、UDITは幼児、老人、妊婦、障がい者、外国人等だれもが使いやすい製品、IT機器、Webサイトを研究・提言する日本での先駆けとなった。UDITではネット環境を活かして社員全員が在宅勤務で、子育て中の女性、高齢者、障がい者など様々な背景を持つスタッフが在籍する。複数の障がい持つスタッフは、その経験を活かして様々な研究開発を行うなど皆で個々の能力を発揮されている。


 UDのコンセプトは、年齢、性別、能力、体格にかかわらずより多くの人が使えるように「最初から」考慮して製品・まち・情報を作るプロセスであり、バリアフリーのコンセプト(後から補助する)が高齢者・障がい者対象とすることとは大きく異なる。製品にする以上は売れることが必須で、関根氏は「かっこよくない」とUDとは言えないと説く。4カ国語を表示した京都市のバス案内、障がい者・高齢者・ベビーカー客がリピーターとなる三重の温泉旅館の例は、ニーズがある人には配慮されていると感じるが、そうでない人には知らずに通り過ぎてしまうという共通点があり、それもUDの特徴である。しかし、日本はまだUDに関する法律整備が不完全であったり、行政・大学・民間のUD化が遅れた現状で、関根氏は、まずは市民が意見を出すという意識向上が必要である(クレーマーになるのではなく、問題点指摘・改善点提案・良い点をほめるというプロセス)と説かれた。現在、障がい者の7割が高齢者であり、人間は必ず老いるのだから、誰しもいつかUDが必要と判る時が来るのである。

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2009年12月 5日

「環境」で起業する1    飯田 哲也(エナジーグリーン株式会社 代表取締役/NPO法人環境エネルギー政策研究所 所長)

飯田さん.JPG  近年、地球温暖化問題の観点から化石燃料から自然エネルギー(太陽・風力・地熱・水力等)への変更の動きが世界的に目覚しい。特にドイツでは再生可能エネルギー法が制定され、自然エネルギーを40%の高値で電力会社が購入すること、この先政府が20年間補償するすることが決まり、個人で風車を立てて電力供給会社を設立する人が増えるなど世界最大の風力発電国となった。また、世界の自然エネルギー産業界にも大企業が増加し、先進国の他、中国、ポルトガル、インド、台湾など新興国も見えるが、日本企業が一社も入っていない。化石燃料が減産時代に入った今、これは非常に深刻な問題であると飯田氏は述べる。


 飯田氏は「日本の認識だけが世界から取り残されている」と批判される。その理由として、日本では保守的政策の失敗(エコブームで止まっている・エコポイントという中途半端な政策)と、エネルギー産業(大企業独占)の圧力、自然エネルギーを補助的と考える認識から、自然エネルギー産業を矮小なところへ押し込んでいると説明された。これまで大規模な発電所という局所的なエネルギー供給の仕方(大企業の独占)が主流のため、分散して小規模にエネルギーを生産する感覚が持てず、大手電力会社が風車を建てたとしても企業にのみ収益が入る仕組みである。しかしドイツは、地域社会が自然エネルギーの所有権をもつオーナーシップ制(電力供給へ投資した後の利益は地域に還元され、自前のエネルギーという意識を持つ)をとるため、風車建設をポジティブに取り組めるのである。また、EUでは洋上風力発電所が大々的に稼動し、さらにアメリカでは自然エネルギーがIT技術と結びつくことで「スマートグリット」化へ向かっている。


 日本のエネルギー政策は国主導で、地域には負の影響しかない。課題は地域からのスパイラルをどうつくるか、と飯田氏は説く。自然エネルギーの環境価値を認め、グリーン市場を作り、地域のグリーンが企業の環境価値へ還元される仕組みを作るため、飯田氏は地域ファンドの増設、政策提言を今後も継続・発展されていく。

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「環境」で起業する2    福田 俊明(NPO法人伊万里はちがめプラン 理事長/レストラン伊萬里亭 オーナーシェフ)

福田さん.JPG  レストランのオーナーシェフである福田氏は、生ゴミを燃やすには多量の水分が含まれているため燃料コストが掛かり、また生ごみ自体は堆肥になるのにゴミとして処分することに「もったいない」と感じられた。そこで、質の良い堆肥を調査・研究するプロジェクトを発足し、生ゴミ堆肥の質の改良に取り組まれた。平成12年に堆肥実験プラントを建設、生ゴミの受け入れを開始されたが生ゴミ堆肥に対する農家の抵抗感や牛糞よりも割高であったために堆肥が売れなかったと福田氏は述べる。


 そこで生ゴミへの抵抗感の払拭と知名度を上げるため、「菜の花エコプロジェクト」を開始された。休耕地・荒れた田畑に生ゴミ堆肥を施し、ボランティアの協力によって菜の花を栽培し、菜の花の美しい景観や有機栽培での安全な菜種油と野菜を生産、飲食店や市民に提供した。使用後の菜種油はバイオマス燃料として回収し、ディーゼル車で使用するところまでを一連のPR活動とした。また、プロジェクトやお祭りに参加した一般客・観光客対象に生ゴミ堆肥を販売するなど、生ゴミ堆肥自体の知名度をあげる努力をされた結果、生ゴミ分別協力事業所が70件以上、一般家庭約250世帯の協力を得られるようになり、生ゴミ堆肥の売れ行きも好調となった。


 佐賀大学との研究連携、地域の学校に環境教育での貢献、インターンシップや修学旅行生の受け入れ等教育分野との連携により、生ゴミ堆肥プラントを担う次世代を育成し、さらに生ゴミ堆肥によって生産された専用の野菜直売所を作ることで福田氏は完全なる循環型社会を目指されている。また、タイ王国での生ゴミ堆肥の指導という国際協力、ホテル・レストランなどで生ゴミ堆肥を販売することで地域興しの一翼を担うなど、「生ゴミ堆肥」があらゆる方面へ波及効果を生んでいることを説明された。福田氏は今後、エコツーリズム開発による市民人口を増やすプロジェクトや、生ゴミリサイクルを広めることで食品リサイクル法を伊万里市全体でクリアする数値目標の設定、堆肥を提供して農産物を特産品化することなどを構想されており、まさに「生ゴミを宝に変える」活動を展開されている。

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2009年12月12日

「観光・まちづくり」で起業する1    土居 年樹(天神橋筋商店街連合会 会長)

土居さん.JPG 天満の界隈は天満宮(天神さん)が1300年前からある古い門前町が発祥で、1200年前からの神事を守る氏子がそのまま商店街に残る歴史と由緒を持つ町である。お参りは信仰のほか、遊びや楽しみでもありいわば門前町は自然発生した町である。ところが「天然の町が養殖の町に食われる」事態(スーパーの出店)が1950年代にあった。通勤のサラリーマンが足早に通り抜けるだけで買い物客が商店街に来ないという危機に直面され、土居氏は「天神橋3丁目を良くする会」(現在の天神橋3丁目商店街振興組合の母体)を皆で作り、商店街を活性化させるための仕掛けを考え始められた。


 土居氏は「商店街はまちの心臓である」と述べる。昔は商店街に住んで、通る人々をお互いに見ながら(監視しながら)過ごすので街が安全であった。日本の社会が悪くなったのはそれが崩れたためと土居氏は説明される。また、もともと商店街では、お客さんと世間話しをしながらつながりを築きいて商いが行われていた。個々の商店にはそれぞれの特徴やこだわりがあり、代々受け継がれていた。土居氏は、人をつなげる商いの重要性や役割を伝えるのが商店街で、商店街にはそういった街商人(⇔企業商人)が生き残らないと日本の街はどんどんだめになると説かれた。


 土居氏が商店街の仕事をして一番大事と思われたのが「文化」である。天神さんの周りにはかつて井原西鶴、川端康成等が交流する芸能・芸術があり、天満の町はかつて文化・芸能の中心であった。そのため、土居氏は文化の掘り起こしを考え付かれ、文化センターの設置、七夕神事の復興、大学生・修学旅行生の学び・活動の機会の創設、そして「上方落語定席 天満天神繁昌亭」の建設と発展された。現在も繁昌亭は常に250席が満席という盛況ぶりである。また、2009年7月大川・天満橋エリアからLEDを2万個放流し大川を天の川にする幻想的なイベント「平成OSAKA天の川伝説」を成功された(LEDの回収・リサイクルなど環境には十分配慮されている)。


 土居氏は、行政が行う施策や指導は衰退著しく立ち直れなくなってから行うもので予防にはならず、それよりもまず予防する人(民)が必要と説かれる。土居氏は今後も商店街の重要性、本来の目的・役割を色々な人に発信され続ける。

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「観光・まちづくり」で起業する2    佐野 恵一(株式会社旅のお手伝い楽楽 代表取締役)

佐野さん.JPG 旅のお手伝い楽々の事業は、要介護者のための介護つき旅行を自宅のお出迎えから介護の状況、体調にオーダーメイドで対応されるサービスの先駆けである。近年は「バリアフリーツーリズム」と表現されるほど認知が広まった分野だが、要介護者が気軽に出かけるにはまだまだハードルが高く問題が多いと佐野氏は述べる。まず、出かけるには段差の有無という問題以外にも、トイレ情報(場所・広さ・貸してもらえるか)、食事対応(流動食にできるか)、移動手段などサポートの必要性が人により違い、そういった情報全てを各人が集めるのは難しい点にある。次に、制度として介護保険が旅行等の個人の余暇の外出をカバーしていない点である。佐野氏によると、映画や花見、外食などのちょっとした外出が、気分転換以外にもまた次も行きたいという希望になり自信となる。あるお客さんが「人間らしくなれた」と言われたそうだが、外出することでリハビリの意欲が高まり生きがいを持ってて生活できるのである。


 京都市は大観光地だが、現地でのバリアフリー情報を提供するサポート体制が整っていないと佐野氏は述べる。そこで本年度「京都バリアフリー観光案内所」を開設され、無料で情報提供サービスを開始された。また、バリアフリー情報のフリーペーパーを配布し好評を博した。佐野氏は「行きやすい街というのは住みやすい町、住みやすい街というのは行きやすい街」であり、よそから来てもらう仕組みとしてこの考え方が本来両輪とならなくてはいけないと説く。バリアフリーを難しく考えるのではなく、段差は人の手で解消できるし、トイレの間口は車椅子幅があれば通れるという、今あるものでどうお手伝いできるかという意識が重要である。佐野氏いわく、段差で手伝ってくれるのはなぜかいつも欧米からの旅行者で、日本人やアジア系旅行者はほとんど声を掛けてこない。また、あるお客さんは、あえて週一回公共の乗り物を利用することで自分のコミュニティーの意識を変えるように働きかけをしているそうだ。一人一人の意識が変わることで様々な問題が改善されると佐野氏は述べる。


 受講生からは、情報誌を発行することで競合が生まれたり、自ら旅行する人が増えて業務に支障がでないか等質問が出た。これに対し、競合が出ることはそれだけ社会的に認知されビジネスになるということで脅威と感じていなこと、旅行アルバム・旅行はがきの無料進呈などアフターケアによりリピーターを獲得されている点などを説明された。

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