2010年1月 9日
しごと蔵プロジェクト 光本 大助(光本瓦店有限会社 代表取締役/しごと蔵プロジェクト 代表)
光本氏は昨年度の受講生である。2009年3月1日Pitch for Change(以下P.F.C.)にて発表した内容、その後の展開、プロジェクトの概要と課題などを、受講生が一番身近な存在として説明された。当初は「しごと蔵」と名づけられていたが、いざ動き始めると関わる人々から自然と「しごと蔵プロジェクト」と呼ぶようになり、参加される数々の会でその名を聞くようになったことが嬉しいという。
職人の世界では高齢化が進み仕事に就けなくなった職人問題が深刻化している。光本瓦店では現在はまだ問題化していないが、将来的には同じ問題に悩まされることになる。一方、同店ではもともと若いアルバイト達を雇っており、学校を卒業してそのまま就職することもあった。社会に馴染めない子供を預かってほしいという親からの依頼もあり、光本氏は高齢となって第一線を退いた職人と社会に馴染めない若者達の教育・救済を同時に解決する方法、さらに古民家修復を実習現場とすることで伝統建築も保存する「しごと蔵プロジェクト」を考えた。光本氏が参加されるNPO法人古代文化の会の方がP.F.C.を聞きに来られ、光本氏に助成金をとることを勧められたことを皮切りに、光本氏は、実際の開講までの約3ヶ月間、各方面の人々を説得、協力、理解を求めるため、講座で学んだプレゼン100回を実践して「しごと蔵」の重要性を説くこととなる。そして指導経験がある80歳の棟梁を講師に、3人の若者を面接して受講生に決定し開講となる。職人気質の難しさ、全く技術のない若者を3人預かることへの対応と責任、並行して彼らが働ける次の現場探しなど課題は多い。しかし、社会生活に馴染めなかった若者が日々逞しくなる様子、棟梁の職人根性と若者達とのやり取りなどを見ると成果も十分に望め、今後の活躍に期待したい。
受講生からはカリキュラム、納期・質と素人を働かせる折り合い、若者への目配り方法、メディア戦略などについての質問がでた。光本氏ご本人が非常にいきいきと説明され、このプロジェクトにやりがいをもたれていることが印象的であった。



「観光」の視点が旅館・ホテル等観光産業の受身から、地域の伝統文化、食と農などの地域財を活かして各々付加価値を付けながら総合プロデュースする方向へ変化したと山根氏は説かれる。地域活性化とツーリズムは密接した関係で、財政難で公共セクターが身動き出来ない今、市民イニシアチブで全国各地域の人達が自ら問題と立ち向かい、地域の課題解決をしていく時代となった。
西粟倉村は岡山県の北東端に位置し、四方を山に囲まれた人口約1600人の村である。市町村の合併が進む中、西粟倉村は自立の道を選択した。村の9割以上を閉める森林は、もとは入会の森で耕作牛の採草地として地区ごとの管理であったが、耕作機械が導入され山に人が入らなくなり荒れ始めたため、植林されるようになった。しかし間伐等の管理は個人負担だったため、高齢・過疎化した地区では管理が困難となった。そこで、森林を村の共有(地域とファンとの共有という意味も含め、「再びの共有」と表現される)とすることで管理を村に集約させ、村全体で持続可能な森林経営をめざす「百年の森林事業」を2009年から開始されている。森を管理するためには資金が必要で、その資金には「共有の森ファンド」を設立し、村外に西粟倉のファンを獲得して森林の魅力と重要性の認知化を図っている。「森の学校」は西粟倉村で地域商社の役割をもち、西粟倉村や森の魅力などを発信するため2009年4月に西粟倉村主催で発足したプロジェクトから同年10月に法人化した。約10年前に廃校になった木造校舎「影石小学校」を事務拠点とし様々な企画・開発や運営等をおこなっている。山を放棄することは自然災害で土石流を引き起こすだけでなく、それまでに努力して植林・管理してきた人々の想いをも無に帰してしまうことを意味すると牧氏は述べる。講座中に紹介された、若い世代が森や木(管理・先代の思い)を受け継ぐ気持ちを表現するインタビュー映像が大変印象的であった。
受講生にとって身近な先輩として、P.F.C.に関する注意点や事業化を意識する際の課題を説明された。


