2010年1月 9日

しごと蔵プロジェクト    光本 大助(光本瓦店有限会社 代表取締役/しごと蔵プロジェクト 代表)

光本さん.JPG 光本氏は昨年度の受講生である。2009年3月1日Pitch for Change(以下P.F.C.)にて発表した内容、その後の展開、プロジェクトの概要と課題などを、受講生が一番身近な存在として説明された。当初は「しごと蔵」と名づけられていたが、いざ動き始めると関わる人々から自然と「しごと蔵プロジェクト」と呼ぶようになり、参加される数々の会でその名を聞くようになったことが嬉しいという。


 職人の世界では高齢化が進み仕事に就けなくなった職人問題が深刻化している。光本瓦店では現在はまだ問題化していないが、将来的には同じ問題に悩まされることになる。一方、同店ではもともと若いアルバイト達を雇っており、学校を卒業してそのまま就職することもあった。社会に馴染めない子供を預かってほしいという親からの依頼もあり、光本氏は高齢となって第一線を退いた職人と社会に馴染めない若者達の教育・救済を同時に解決する方法、さらに古民家修復を実習現場とすることで伝統建築も保存する「しごと蔵プロジェクト」を考えた。光本氏が参加されるNPO法人古代文化の会の方がP.F.C.を聞きに来られ、光本氏に助成金をとることを勧められたことを皮切りに、光本氏は、実際の開講までの約3ヶ月間、各方面の人々を説得、協力、理解を求めるため、講座で学んだプレゼン100回を実践して「しごと蔵」の重要性を説くこととなる。そして指導経験がある80歳の棟梁を講師に、3人の若者を面接して受講生に決定し開講となる。職人気質の難しさ、全く技術のない若者を3人預かることへの対応と責任、並行して彼らが働ける次の現場探しなど課題は多い。しかし、社会生活に馴染めなかった若者が日々逞しくなる様子、棟梁の職人根性と若者達とのやり取りなどを見ると成果も十分に望め、今後の活躍に期待したい。


 受講生からはカリキュラム、納期・質と素人を働かせる折り合い、若者への目配り方法、メディア戦略などについての質問がでた。光本氏ご本人が非常にいきいきと説明され、このプロジェクトにやりがいをもたれていることが印象的であった。

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NPO・社会的企業で起業するということ~NPO法人edgeでの支援・評価事例から    古野 茂実(NPO 法人edge 理事)

古野さん.JPG 「edge」とは、Entrance for Designing Global Entrepreneurship の略で、「若者たちに向けて、社会起業家へとつながる扉を開く『きっかけ』、『チャンス』を、 ビジネスプランコンペという取り組みを通じて提供する」ことを目的に2004年より活動を開始され、2008年4月に法人格を取得、今年度までに5回ビジネスプランコンペを開催した。その特徴は、通常のコンペとは異なり、プランの完成度や実現性を高めるブラッシュアップの機会を集合研修(合宿)、個別メンタリングなどで提供する。 さらにそのプロセスを通して、起業家や起業家を支援するサポーターとのネットワークや社会起業に挑む人々との出会いなど、 若き社会起業家を育てるコミュニティづくりも目指している。


 社会問題は増える一方だがそれを解決するプレイヤーの数(社会起業家)は足りていない。本来、力のある人は自分で起業し活躍するが、それではプレイヤーと解決手段(社会事業)が追いつかないので、実事業を輩出し支援するサービス(ビジネスプランコンペ+コンサル)とその人たちをサポートするコミュニティの創出を提供する。日本の高齢化は急速に上昇しており、10年後の生産性は現在比で1.5倍必要である。今から若者達には生産性を上げるために本気でスキルを身に付けて活動してもらう必要がある、といういうのが活動背景と事業内容である。


 edgeのビジネスプランコンペでは「本気」度を確認するため自己と向き合う場が設けられており、参加者にとっては一番過酷な時となる。古野氏は「本気」は嘘をつくとすぐバレるのであり、理屈ではないという。受講生からの質問に対しても「本気で」対応され、受講生達は自己の「本気」と向き合う重要性、人の話を聞いて思いを「成仏させる」必要性などを痛感したようである。古野氏は実際にedgeのコンペで入賞されたうち「本気度」が高い事例、成功している特徴、edge代表者の田村太郎氏(ダイバーシティ研究所所長)の起業家として優れている点の紹介をされた。古野氏も言われたが、現場系の各プレイヤーの本気度、状況、特徴はいくらインターネットが発達してもWEB上では表れない。古野氏の説明をうかがうことで受講生達はedgeの空気を一部感じることが出来たようだ。「心に汗をかくこと」、「自分の本気・心を揺さぶられたことから逃げない」などハッとさせられる瞬間の多い講義であった。

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2010年1月23日

自治体とのパートナーシップによる実践型環境体験学習の展開    丸谷 聡子(明石のはらくらぶ 代表)

丸谷さん.JPG 丸谷氏は昨年度の受講生である。受講以前から自身の野鳥に関する知識を活かしてボランティア活動をされ、小学校での自然学習指導を実施されていたが、ご自身の活動上の悩み、直面した問題(行政や学校との協働について)をきっかけに昨年度受講された。丸谷氏は書道家・そろばんの指導員など多彩なスキルをお持ちで、受講時の講師より「ボランティアで胸を張っていたらダメ、事業に変えていくことを考えてみては」というアドバイスと、「個人だけでは自分の想いは伝わらない」こと認識された。丸谷氏いわく現在は「社会起業というよりは、まだ社会貢献の状態で活動の点と点が線になり、やっと3Dになってきた」と。

 P.F.C.(Pitch for Change:2009年3月1日)の際に、「環境体験学習サポートセンター」をセクションの一つとして立ち上げ、兵庫県が実施を決定した環境体験事業(学校側が校区内の自然環境を知らなかったり現場の先生に知識がなく、兵庫県が実施を決定しても現場で対応できない状況)に対し、丸谷氏のサポートサービスに関するチラシを作成して県下の教育機関、先生等ピンポイントで配布された。また、P.F.C.で指摘された丸谷氏以外に指導できる人員の確保(自然学校仲間のネットワーク作り)にも成功したことにより、以前より関係があった小学校に加え、本年度は新規の学校が倍増した。

 葉っぱや虫が触れない子ども達が、授業を1年経験したことにより、落ち葉に包まって遊ぶようになった様子や、子ども達が体験を通して作成した可愛らしい絵本を紹介され、愛情一杯に授業されていることがうかがえた。丸谷氏が、受講のきっかけとしていた教育機関・行政との協働に関し、教育委員会と担当先生との話し合いに参加できるようになったこと、市・県から手伝いか来てくれるようになったこと、ピンチをチャンスにかえる発想の転換ができるようになったことを成果として上げられ、「小さなイノベーションの積み重ねを感じる」とおっしゃっていたのが非常に印象的であった。 受講生からは、事業としての収支やサポート体制・カリキュラムなどについて質問があがり、現在の課題・展望とあわせて回答された。

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倫理の市場化~持続可能なライフスタイル価値の創造・第三の消費~    熊野 英介(アミタホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長/アミタ株式会社 代表取締役社長)

熊野さん.JPG アミタ株式会社は、創業1977年、33年の歴史を持つ総合的な環境のソリューションを行う企業である。創業当初は非鉄金属専門の問屋であったが、第二次オイルショック、円高ショックなど様々な不況を経験する中、顧客の工場から発生する産業廃棄物中のニッケル含有量が、天然資源における含有量よりも濃度が高いことに着目し、産業廃棄物からニッケルの再利用を行う事業を開始された。まだ当時の世の中には資源のリサイクルという考えはなく、学者の批判や商品として理解されないこともあったが、安定供給・品質保証を掲げ事業を成功された。

 熊野氏は二宮尊徳の言葉「道徳なき経済は犯罪である、経済なき道徳は寝言である」を引用され、ソーシャル・ビジネスを行う人には寝言が多い一方、真にベンチャー・ビジネスの難しさとは、儲け続けることと述べる。簡単に儲けられたら大資本が入って来るのであり、難しいからこそ難易度が競争力のノウハウとして生きるのである。経営者は模倣不能性と状況に対する適応性、この二つの矛盾をコントロールしなければならないと説かれた。

 また、熊野氏は「本当の社会のニーズとは?」と問いかけられる。衣食住が満たされた現代は、所有欲が豊かさの象徴の時代から、豊かな時間を得ることが豊かさである時代になった。そして、仕事は豊かな時間を得る場(やりがいを提供)になり、そういう会社には人が集まるのである。かつて日本には庶民が文化を築き、文化を競うことで豊かさを得て、朝顔市等、豊かな時間を供給するコミュニティーの原点があった。人間が人間らしく生きていた。行政や大企業にはない考えだからこそ、ここがベンチャーチャンスとなる。具体的な事業例として、京都府京丹後市での「森林酪農」を紹介され、環境問題対策は部分ではなく総合でやってこそ解決となるという視点から、放置された山を酪農で再構築する実験を実施されている。

 受講生からは、自身の事業に関する相談、会社内の想いの共有、豊かさ等について質問があがり、サービスや価値を細かく要素に分解することをアドバイスされ、民が民のために行う公共ビジネスが、第三の消費(生きがい)を促すことを説明された。

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2010年1月30日

ハードからソフトへ~布ナプキンビジネスからの発見    小野 千佐子(株式会社ティプア 代表)

小野さん1.gif 小野氏は当講座の一期生で、その後大学院に進学し本年度修了された。当講座に参加された理由が、「布ナプキンビジネスの展開をどうすればいいのか、普通に販売するだけではだめだ」と考えたことにある。そこで、「布ナプキンを本当に売りたいのか」と自問自答され、当初「オーガニックコットンを広めるため」と考えていたが、大学院での研究・議論を経験することで多角的な視点(石油由来の使い捨てナプキンを大量消費するのでは持続可能な社会にならない点、日本でわずか大手3社が独占的に使い捨てナプキンを販売し、社会的公正性に欠ける点、月経が多くの女性をパーソナルな問題として追い込み、社会的理解がえられていない点など)を得て、布ナプキン販売に関する自身の納得度を上げ、布ナプキンビジネスのモチベーションを上げられた。小野氏いわく「学び直し講座修了後、大学院に進学したことでアカデミックな思考方向を持つことができた。大学院でできた先生や仲間、知人の人脈は大きい。発表する経験・ノウハウは勉強になり、 "つきいち cafe"の開催に活かされている。人生において大きく学び直しができた」。

 小野氏は男性の受講生には「もし生理用品のおつかいを頼まれたら、の気持ち」、女性には「生理用品のおつかいを頼める男性がいるか」を質問された。女性は、緊急度によって夫・父親・友人に頼むこともあるかもしれないが、普通は頼まない、頼むことを考えたことすらないと答えた人もいた。一方、男性は頼まれることに関して「恥ずかしい」という抵抗感もあるが、意外にも頼まれれば買いに行くと答えた。男性は女性が頼み難いこと、女性は男性が頼めば買いに行ってくれるというお互いの認識を理解できた。女性の受講生からは、布ナプキンの使用感・方法など具体的な質問がだされ、男性からは布と紙で何が違うのか、海外の状況、女性の辛さ等の質問があがった。また、教育的観点やベビー用・介護用オムツなどの類似商品ビジネスの可能性など活発に質問があがり、受講生たちは商品(ハード)が認識(ソフト)の変革をもたらすことを実体験できた講義であった。

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2010年1月31日

"チャレンジド"の自立をめざして~アートによる就業支援ビジネス・モデルの構築と展開    アトリエインカーブ クリエーティブディレクター/社会福祉法人素王会 理事長

今中さん1.gif 「アトリエインカーブ」は「つくる」・「描く」ことが好きでたまらないアーティストが、心置きなく創作に没頭できる場の提供と、生み出された作品が一番輝く方法を探すこと、彼らの作品を純粋に評価できる人材を育成することをミッションに、誰もが「普通なしあわせ」を感じることができる社会となること(Social Design)を目標とされている。今中氏は大手デザイン会社に在籍中、ご自身がお持ちの障がいと向き合う機会があった。それがきっかけで自身の「お役目」とは何かを考え始めた。たまたま友人のところに面接に来た知的障がい者の方と知り合い、福祉の現状(作業所・給料・労働等)を聞き、彼にはアートの力があるのに、世の中のシステムに迎合したところで生きていかなくてはならない現状に憤りを感じられたのが始まりである。


 NPO法人と違って、「社会福祉法人」を設立するためには厳しい要件(土地・費用・設備・連帯保証人・社会福祉事業者としての経験等)があり、一旦認可されれば税金が投入されるため、行政側の態度も厳しく、また知的障がい者を知能指数でしか見ることができない行政には、「アート」という新しいものさしへの理解は得難いもので、設立まで・設立後も大変ご苦労をされている。


 かつて使用された「アールブリュット」、「アウトサイダーアート」という言葉は、インからアウトを見る差別的視線と、それを商業的価値と見出した表現であると今中氏は説く。そういうものを取り払った純粋な現代美術としての評価を得るための努力や、「アート」の世界では評価される人・されない人がいるのも事実で、日々葛藤されている。


 受講生からは、設立までの道のりや活動方法、スタッフの質、「インカーブ」のようなものの設立の可能性、学校教育現場とアート感覚の育成、どこで作品が鑑賞できるのか等あらゆる質問があがり、今中氏は、非常にレベルの高いスタッフを採用する基準・採用方法や、教育に寄与しようとして「アートライブ」を開催した際の苦い経験、行政と福祉の関係について等、時間の許す限りお答え頂いた。受講生達は既成概念・用語・モノの見方等、「観点変更」の重要性を痛感した。

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2010年2月 6日

BP's 品川宿計画~地域発信型ゲストハウス    渡邊 崇志(ゲストハウス品川宿 館長/旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会 会員)

渡邊さん.jpg 渡邊氏は昨年度の受講生で、東京から夜行バスで講座に出席されるほど熱心に参加された。当講座を受講しながら品川の街づくり協議会に参加し、当講座を終了後、品川での地域貢献や観光ボランティア、地元の旅館等でサービス業・ゲストハウス運営の勉強を行い、昨年10月にバックパッカー向けのゲストハウスを開業された。バックパックトラベルとは大きなバック一つで安価なゲストハウスやユースホステルに滞在し、地域の人々や旅行者同士での交流・情報交換をしながら旅行する方法でホテルに泊まる旅行とは違う旅の楽しみがあり、ゲストハウスやユースホステル等はバックパッカーの受け皿である。特にゲストハウスは、庶民視点での国際交流と地域の情報を世界に発信する役割を担う拠点である。


 品川は旧東海道の第一宿場町である。成田・羽田・都心・ディズニーランド・鎌倉等への交通アクセスが意外と良く、品川駅周辺の高層ビル街を抜けると歴史情緒ある下町の風情も味わえる「穴場」である。渡邊氏はゲストハウスの運営を通して、品川宿の歴史文化情報を世界へ発信することで宿場町としての復権と国際交流による地元商店街の活性化を目指されている。当初、外国人観光客受け容れによる治安、マナー、言葉の壁の問題が予想されたが、「ゲストハウス品川宿」が介在することで問題が解消され、逆に観光客が商店街で食事・買い物をすることで商店街へ貢献している。また、従来安価な宿は日本国内でも治安のあまりよくない所にあり、女性旅行客には利用されにくい状況だった。しかし「ゲストハウス品川宿」は商店街に位置し、男女フロアーを分けるなど女性に配慮したことで、女性旅行客が非常に多いのが特徴である。講座には「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」会長の堀江新三氏も参加され、渡邊氏への支援や活動など補足説明された。開業後まだ間もないが、渡邊氏は今後地域の宿との協力もすすめながら宿場町としての復権と地域活性化活動を展開される。


 受講生からは旅館営業許可の必要性や開業資金、稼動率、収益、情報発信の方法とコスト削減の関係等質問があがり、渡邊氏にお答え頂いた。

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過疎化する地域の再生~ツーリズムと地域活性化を融合させるビジネスモデルとは    山根 多恵(温泉津温泉 旅館吉田屋 女将/地域維新グループ 代表)

山根さん1.jpg 「観光」の視点が旅館・ホテル等観光産業の受身から、地域の伝統文化、食と農などの地域財を活かして各々付加価値を付けながら総合プロデュースする方向へ変化したと山根氏は説かれる。地域活性化とツーリズムは密接した関係で、財政難で公共セクターが身動き出来ない今、市民イニシアチブで全国各地域の人達が自ら問題と立ち向かい、地域の課題解決をしていく時代となった。


 旅館吉田屋は創業明治43年(今年創立100周年)、大正時代建築の木造三階建、温泉郷特有の間口が狭く奥に広い敷地で「重要伝統建造物保存地区の伝統的建築物」に指定されている。島根県大田市温泉津町は残念ながら公共交通は不便な立地だが、近年世界遺産に指定された石見銀山からほど近い。しかし過疎化と後継者不足による相次ぐ旅館の廃業という地域問題があり、市民バンク代表の片岡勝氏の発案により新しいビジネスモデルとして山根氏が「継承創業」されることとなった。


 山根氏は継承半年後、先代の売上を超えた際に旅館業を週末3日間に絞り、平日4日間を地域貢献活動として地域問題の解決に費やす決定をされた。これにより旅館業をツールとして、若い人が地域で活動することで自分達の利益のみならず島根県、ひいては日本にモデルを作って還元するという当初目的を達成していく道にもつながった。ただし、昔と比べ若い人達が一つの場所に留まることは現状では難しく、過疎化地域に一つの仕事を行って生活できる時代でもない。そこで、社会企業家を目指す人やインターンシップを経験したい人々を受け入れ、若者内でも事業の継承を行い、お互いを評価し合うシステムを設けている。各々が見つけた地域問題は、地元のおばあちゃん達を巻き込むもったいない野菜の流通販売や、都会の人を巻き込むバーチャル蕎麦農民制度など、地方と都会を結ぶ事業へと発展した。


 また、山根氏は旅館業の他に山口・島根を中心に地域維新グループを総括され、農業においての「継承創業」の実践や、就職より創職という視点の提唱をされて、地域プロデュースを行える人材育成にも力を入れている。受講生からは人材育成のポイント、集客方法、インターンに来る人々の状況、山根氏ご自身の立場、マーケティング、旅館の収支、継承創業の情報等様々な質問があがり山根氏にご説明いただいた。

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2010年2月13日

食育講演活動を契機としたソーシャル・イノベーションの実践的研究~家庭・学校・地域の連携に着目して    中尾 卓嗣(ボランティア 食と環境教育アドバイザー/ウンチ博士)

中尾さん.jpg 中尾氏は仕事で広報を担当された際、ある学年の児童から農林水産業に関する問い合わせが多いことから、これらを小学5年生で勉強することに気付いた。質問を待つより出向こうと出張授業を実施された。出張授業中、ひょんなことで「ウンチ」がネタになる。子どもたちには大ウケでどんどん研究を深められた結果「ウンチ博士」という異名をもつこととなった。ある講座終了後に乳飲み子を抱えた女性が涙ながらに我が子の病を開示して「この子が人として大きくなるチャンスであるとわかった」と中尾氏に伝えてこられた。心を込めて伝えることで人様のお役にたてるという喜びを実感したという。仕事から始まった出前講座だが、中尾氏自身にとっては精神的な癒しの空間となり、自己肯定の場となったと述べられた。


 最近はネットの普及で座っていても情報が入ってくる。しかし発信者の意図した部分が強調され、物事を一側面でしか見られない子供が多い。自らの体を動かせば別の見方がある、考え方を変えて解決するという視点を大事にされて講座を行われているという。また、最近の小学生の不定愁訴の要因に食生活があげられる。特に「生活」部分が重要で、遊びを通してルール・役割分担・体力・知力・技術等社会で必要なものを学んでいたが、最近はバーチャルな世界が多く、生き物と係わる機会も少ない。


 中尾氏によると動物は歯を見れば何を主食としているかわかり、人間は明らかに穀物である。ところが、90年代を境に日本人の米と菓子類の年間購入金額が入れ替わった。中尾氏は研究フィールドである鹿児島県徳之島や沖縄県等を例にあげ、文化・風土・季節(旬)にあった食生活がいかに健康・教育に重要かを説かれた。

 受講生からは、残念ながら講座中に話していただけなかった「ウンチ」の話のリクエストや、中尾氏がウンチ博士に変身された過程について、30品目重視などの栄養学についての質問等があがり、栄養学よりもむしろ母親が頑張っている姿を見せる食「生活」部分の重要さを説かれ、ご自身のエピソードもあわせて披露された。

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森と地域を再生させる新たなビジネスモデルの構築と展開~岡山県西粟倉村の事例    牧 大介(株式会社西粟倉・森の学校 代表取締役)

牧さん2.jpg 西粟倉村は岡山県の北東端に位置し、四方を山に囲まれた人口約1600人の村である。市町村の合併が進む中、西粟倉村は自立の道を選択した。村の9割以上を閉める森林は、もとは入会の森で耕作牛の採草地として地区ごとの管理であったが、耕作機械が導入され山に人が入らなくなり荒れ始めたため、植林されるようになった。しかし間伐等の管理は個人負担だったため、高齢・過疎化した地区では管理が困難となった。そこで、森林を村の共有(地域とファンとの共有という意味も含め、「再びの共有」と表現される)とすることで管理を村に集約させ、村全体で持続可能な森林経営をめざす「百年の森林事業」を2009年から開始されている。森を管理するためには資金が必要で、その資金には「共有の森ファンド」を設立し、村外に西粟倉のファンを獲得して森林の魅力と重要性の認知化を図っている。「森の学校」は西粟倉村で地域商社の役割をもち、西粟倉村や森の魅力などを発信するため2009年4月に西粟倉村主催で発足したプロジェクトから同年10月に法人化した。約10年前に廃校になった木造校舎「影石小学校」を事務拠点とし様々な企画・開発や運営等をおこなっている。山を放棄することは自然災害で土石流を引き起こすだけでなく、それまでに努力して植林・管理してきた人々の想いをも無に帰してしまうことを意味すると牧氏は述べる。講座中に紹介された、若い世代が森や木(管理・先代の思い)を受け継ぐ気持ちを表現するインタビュー映像が大変印象的であった。


 村内には「雇用対策協議会」を設置し村・プロジェクト全体の人事部として、村外からのリクルート・定住・起業支援を行っている。その結果2007年からIターンで約40名が定住し、村の祭りや行事運営に重要な役割を果たしている。また、森の学校は西粟倉の地域財産である「木」を商品として、大量生産はできなくてもきめ細やかな対応ができることを強みとして、木材製品の販売や内装材の開発、住宅の設計・建築までをセットとした事業等を進め雇用も創出している。


 受講生からは事業開始までの困難な経験、利益創出と地域貢献のバランス、再びの共有化の意味、ファンド設立の経緯、輸入材との競争ほか様々な質問があがった。

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2010年2月20日

残された時間を自分らしくもう一度生き直したい    芝山 隆史(JCDAキャリアカウンセラー/大手通信会社 勤務)

芝山さん.jpg  受講生にとって身近な先輩として、P.F.C.に関する注意点や事業化を意識する際の課題を説明された。
 一昨年、経済状況の悪化から派遣切り問題や労働環境の悪化が著しく、以前より働く意味や個人の幸せに関して取り組んでいたキャリアカウンセラーの芝山氏は、同じく問題視されていた農業の衰退(自給率低下、担い手不足等)問題を人材ビジネスで解決すべく、意欲的に関連機関や団体へ出向き研究・実践されP.F.C.で発表された。勤務先でも積極的に事業の提案を行い、社内ベンチャーという可能性も探られた。しかし、一般的なサラリーマンと同じく、高度経済成長期以降の産業主義的な社会・生活スタイルに疑問を持たずに邁進されてきた芝山氏は、受講期間中の入院手術療養生活等、様々な身体的限界に直面し、「これまでの生き方を変えて、人生の残りで何が出来るのか」という自分自身と現代日本社会に共通する本質的なキャリアチェンジへの思いを持つようになった。


 芝山氏は当時のP.F.C.の発表内容を披露されながら、病や自身の職場環境の変化、大学院での勉学を経験したからこそ、発表当時、潜在的にはあったが気づいていなかった問題意識が、今見えると述べる。芝山氏は、大学院進学後に授業を通して、自然とつながる農的生活リズムの大切さ、収穫や農産物加工作業での集団作業における人とのつながりの安堵感等を体験した。さらに職場では、CO2削減と携帯販売事業を結びつける社会実験を取り組んだ。そんなある時、ふとしたきっかけで山へ登った際に、五感で山を感じることで非常に癒されることに気づき、芝山氏自身の興味の重点が農業そのものではなく「人間」にあり、最終的には現代社会の「人間の幸せの再構築」がしたかったのだというポイントに行き着いた。芝山氏は現在、身近な「森林セラピー基地」の活用や運動療法・生活習慣改善を目指したノルディックウォーキング活動へ向け準備をされている。芝山氏は、性急に事業化を意識しすぎて最も大切な自分の感性を見逃してしまうことがあるので、P.F.C.を直前とする今、もう一度事業プランを見直すことを最後に忠告された。


 受講生からは芝山氏の森林セラピーに関する事業化の可能性や社内ベンチャーの立ち上げの難しさ等に対して質問があがり、回答された。

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